これまでにいくつか働いてきた。それでもわからないことがある。
「働くとはなんだ?」「お金を稼ぐとはなんだ?」
実感が薄いのもあり、自分以外の周囲の物事にも関心が薄い。そういうわけで、私に起こる出来事以外を、自分起因のものではない出来事、とどこか遠いものに見ている。
賃金を落として一生懸命働けば、お金のありがたさがわかるかも、と実践してみたが、効果は今ひとつ。それを続けた後、すぐに転職した。最初だけ、少ない労働力でこれだけもらえると感動していた。それが数年経ち、同じことの繰り返しが連続する日常に飽きてきてしまった。生活のために人は働くと言う。
わからない。なぜ働く?なぜ、お金のために人は働く?
働くことは嫌いではない。
お金を稼ぐ意味がわからないでいる、人生数十年目。
学生時代、周囲がアルバイトをして収入の足しにするのを見て、「どうして働くんだろう?」と不思議がっていた。事情があるにせよ、働く意味がわからない。今もわからない。そのわからないということに危機感を覚えたこともないし、不安になったこともない。経済的に恵まれていたとか、そういうこともなく、周りと変わりなく普通に過ごしてきた。
私自身、どこかの役に立ちたい気持ちも薄く、役立てることよりも、自分の生活を豊かにできることに興味がある。それこそ、「働いてお金を稼げばいいのに」と言う。自分の労働力を人に提供することの意味もさっぱりわからないのだった。
私がしたいことは誰かに提供することではなくて、自分で自分を納得させるために生きているようなものだ。提供して得られる報酬だけでは足りない。そもそもの矢印の方向が違っている。こう言うと、自分だけ得したい人間のように聞こえる。
人に分け与えるとか、何かを一緒に見るとか、そういった関心そのものが薄い。
それは人と一緒に過ごした経験が少ないのももちろんあるとは思うけれど、与えられた恩恵に深く感謝できないのも含まれる。人をありがた迷惑のような存在として煙たがる。できれば人と関わらない生活がいいと思う私だ。なんだろう、すごく最低最悪の人間のようにも聞こえる。人に興味がないわけではないけれど、私のしたい内容とは別なので、できれば遠くに行ってほしいと思ってしまう。
同じ尺度でものを考えられればズレは少なかったのだろう。
また同じように考えたいとも思えない私もそこにいる。
現実逃避、と言うよりは感覚から全てが違う内容物。同じように進んできて、人の人格はその場にいる環境と、実際に行動した内容に左右されると言われるけれど、似たように進んできた人の中でもさらに分岐するらしい。
人格形成の段階から何かが確実に違っている。その違う何かを見つけるために、今日も明日も場違いな方向へと走っていく。
それではここで文句をひとつ。
人は人に興味を持ちすぎている。


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