複雑の上に成り立つシンプル

散文

日常を過ごしていると雑音に気を取られることがある。

そういったときに、雑音に耳を傾けるのか何事もなかったように他のことを考えて過ごすのかで消耗する笑。

しみじみと感傷に浸りたいときとは何が違うんだろうなと思いながら、歩いたり本を読む。

歩くのは気分転換になりやすいが、悩みながら歩いていると頭痛になりやすい。

ダイレクトに体に反応があるタイプ。体には何も通さなくて良いのにと思う。

せっかくだから美味しいものでもと思うが、毎回同じことをしていても変わらない笑。

毎日チートデーにしたことで、満足するレベルまでハードルが高くなったようだ。

生活水準を落とすのは厳しく感じる。

普段の生活でいつもあると思っているものがないだけで不安になる。

生活が変わるタイミングはいつからだろうか。

親元から離れたとき、義務教育を終えて進学や就職をしたとき、など今までと違う環境に行くときが思いあたる。

日頃から習慣にした何かをそのタイミングで辞めたり、新しく始めたりする。

そこで何かを我慢しないといけないと思ったときのストレスは尋常じゃない笑。

我慢耐性がないだけなのもあるが、いつも習慣にしていたものが奪われたりなくなったりすると寂しさを感じるようである。

だからエントロピーが大きい部屋に住んでいるのかもしれない笑。

物が乱雑しているとどこか賑やかになって落ち着く。

シンプルな部屋に足を踏み入れたときに気が落ち着かなくなるのは、スッキリしすぎていてどこか物足りなさを感じるからだろうか笑。

机の上に自分の荷物を広げるわけにもいかず、自分までをもシンプルであるようにと内面は複雑なままにしてテーブルはスッキリさせている。

シンプルこそが最大のファッションなのだとドヤ顔で澄ます有様である。

大本のシンプルさには触れずに色だけをその上から塗りたくったような荒さがある。

色が剥げてくると元の色味が顔を出してきて不安になるようであった。

出来合いで間に合わせても根本が解決していないので、また元の振り出しに戻ってくる。

私はなんと忠実な生き物か!と感動する瞬間でもある笑。人間やってるなと思う。

そんなことを何度も何度も繰り返しているうちに、全く知らない世界にやってきたりする。

気づいたら自分自身で打開するような計画を立てていたようだ。

いつも同じ状況に思われたものが、実は毎回変化を繰り返していて別のものに作り替えられていたのだと、また新しい発見をそこで見つける。

私自身が別の生き物になったようで観察するだけで面白くなってくる。

傍目からは何も変化がないらしい。

そうかと言いながら、自分だけが見つけたものと嬉々として喜んでいる私であった。

同じ風景を違う視点で眺めることができる私、というのにプライドを持っているらしい笑。

何か一つくらいは人と違っても良いものである。と思うけども、自分は物凄く標準的な生き物のような気がしている。

見た目にわかりやすい面白さは持ち合わせていないし、そうかと言ってキッチリ動けるタイプでもない。

同じようにしていてもどこかしらははみ出ている笑。隠したり嘘をついたりするのはどうも苦手なようだ。

人から誘われて自分が乗り気しないなと思うときの理由付けはコンマ1秒で返すのに不思議だ。

昔ははっきりと口に出してあれこれ言ったものだけど、今はだいぶマイルドになったと思う。

人がどう思うか考えて行動しなさいと両親に言われて育ったのが功を奏したようだ。

そのおかげで足枷になっている部分もあるのだが…

上手に加減しながら生きていくのが当分の課題になりそうだ。

周りがヤキモキする中でのんびりペースになる私。時と場で使い分けができない私。

それを補うために他の人がいると楽観的に考えて生きている。

全てを人任せにするわけではないけども、こんなふうに軽やかに生きても良いと思う。

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