在宅ワークにこだわって求人を探している。クラウドワークス以外にも他の募集を見てみようと、あちこちをネット徘徊している。botを疑われて、何度も認証を求められる。少し前までそこまで頻繁に聞かれなかったのに、トラフィックが過剰だとかで出てくるようになった。少し鬱陶しくてイラッとくる瞬間だ。タブを開きすぎているのをやめたらいい。そんなに開いて何を検索しているのか、自分でもあまりよくわかっていない。検索魔みたいで徘徊せずにはいられないらしい。ネットサーフィンは時間が溶ける溶ける。募集書類をまとめて提出するはずが、全く違う興味へと移っていった。
ぼーっとしている間は、そこまで時間が経っているようには思えない。ゆっくりと、少しずつ時間が進む。そのゆっくりさが、自分にはちょうどいい。早く急かされることもなく、秒針音を聞いているようなゆるさがある。シーンと静まり返った部屋には、秒針音が不気味な音を立てているように見えるけれど、それも存在が崩れていくような儚さがあって、現実にいながら芸術を感じる。芸術とアバウトな言葉でまとめるのは、それに当てはまる語彙が思いつかなかったからだ。即行で書こうとしているのがそうさせる。「時間に余裕を持ちましょう」はどうして時間に急かされていないはずの場面でもついて回るのか。不思議だ。早く仕上げなければ、という気持ちが表に出てきたような気がする。焦っても余計に時間がかかる。焦るな自分。
どの人にも等しく時間配分されている。その時間内で何をしてどう過ごすのかが違っている。同じだけを与えられていても、使い方はまちまちで、それぞれが思い思いに過ごしている。何を一番大事にするのかで、輪郭までもが変わっていく。時間を大事にするのか、未来に向けて備えるのかで、行動も変わっていく。芸術に触れたい人や好きな人は、時間に余裕がある生活を望ましいと言う。できるだけ人から離れて、腰を落ち着ける場所に根を下ろそうとする。そこからが創作の始まりだ。創作は騒がしい環境にいるより、静かで波が立っていない場所が最適になる。人がいないことで関わりはどんどん薄くなっていくけれど、作品を生み出すのと引き換えに交換してきたのだ。作品の知名度が上がっても、その状態は変わらないだろう。人は増えても、自分と一緒にした感覚を持ったものはだんだんいなくなっていく。感覚だけが研ぎ澄まされようとしている段階は、これから大きく一般的な見方と離れていくようで、少しの寂しさを感じる。ここから先は別の場所へ行ってしまうのだなあ、と。
進んだ先には、また別の共鳴できる人たちが現れる。その人たちは、前にいた人たちとは違っていて、それぞれが独立してそこに立っている。穏やかでありながら、どこか芯の強さを感じさせるような人たちだ。ものの輪郭の曖昧さを許さずに、縁は誰もが見てもわかりやすく、それでいて内容は複雑のようで単純だ。「シンプルさが難しい」という表現がそのまましっくりくる。とてもシンプルな故に複雑だ。複雑すぎると脳の処理が追いつくのが先か、体で捉えて体感するのが先かがわからなくなる。慣れない環境変化で体調を崩すような不安定さを感じる。不安定をそのまま受け入れられるかが問われてくるのだろう。不安定として不安定ならずや。私もだんだんと自分が何を言わんとしているのか、怪しくなってきた。物事の本質に近づこうとすると、頭が痛くなる。本質はもっとスパッとその場にあるものだと思っていたけれど、実はそんな生やさしい状態にはないことを知った。簡単にあったあれはなんだったのだろう?と不思議がっている。そのうちわかるようになってくるのかもしれない。いや、わからないままかもしれない。


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