毎日同じ時間にブログを書く。たまに時間をズラしてブログを書く。継続するなら、書く時間をバラバラにするより、決まった時間に取り掛かるのが良い。毎日ブログを書くと、途中で投げ出したくなる日も出てくる。そう言いながら開いてブログを書いている。書いている、ただひたすらに。そこまで必死にするものでもないけれど、意地とか矜持とかで頑張ってみたりする。どうせ途中でいなくなるだろうって言われながら、ただひたすらにブログを書くことに専念する人たちがいた。数年後の運命や如何に。書き続けられるだけで伸びるわけではないけれど、継続力が業務に生きてくる。これはマインドを学んでいるのだろうか。耐え抜くという才能が開花する。我慢大会も最近は評価されない。禅の心、繕の心。善とは言わない。
耐え抜くより、「ゆるくやろう」って言って人を油断させる。自分は一生懸命に対応していたりする。「ゆるくやろう」って言った本人が一抜けていた。そのまま鵜呑みにしたのが、寝転がったままでいた。なんというホラーだ。現代社会もこういった雰囲気がある。実は頑張らないといけなかったのか、と思わされる。そのまま横に転がっているのは変わらなかったけれど。「ゆるく」が抜けるときは、熱心に取り組んでいる物事か趣味だけだ。熱心に取り組むことをそのまま仕事にするのが、向いているのかもしれない。人間は本来シングルタスクだからと言って得意げに胸を張る。
「長く続けていることはなんですか?」とか「好きなものはなんですか?」と言われると、固まる。急にパッと答えを言い出せないでいる。それは、好きなものを言わずに隠しておきたい気持ちもあるし、好きってどんな状態のことを指すのだろう?と考え込むことからでもある。好きなことに自信が持てない。本当にそれを好きなのだろうか?手に付けていないのに? 入った図書館で無意識に特定の分野を見にいったりしているのを見ると、何か惹かれるものがあるのだと思う。では何に惹かれているのだろう? 答えがわからないまま、手に取ってしばらく読み込むと、だんだんお腹いっぱいになってくる。またその繰り返し。この現象の正体を教えてほしい。
できることと好きなことが違う。どちらかを優先して、と言われると、大体ができる方を選ぶ。できても本当にそれに興味を持っているのかは怪しい。怪しい状態で、少しずつ力をつけていったものが、やりたいことに変わっていく。曖昧な状態でも飛び込むと、恩恵を得られて新しい道が開けてくる。最初からやりたいことが明確に決まっていればわかりやすいけれど、そうじゃない人もいる。自分の興味のあることがわからなくて、立ち止まりすぎる人もいる。慎重になりすぎて動けなくなってしまう。この動けないの正体は、未知のものに向かって踏み込んでいくのが不安だという気持ちから来ることが多い。何事も最初は不安だらけ。不安を完全に取り除くのは難しい、とわかっていても立ち止まるのは、何か別のものを見ているからだろうか?
道があって右と左に分かれていると、人は左を選びやすいと言う。政治思想ではなく、なんとなく利き手と逆の方向を選びたい、と思うことによるものらしい。(ここでは、右利きの人を指している。)確かに、どちらかに行ってみようと選ぶ道は、左の方が多そうだ。いつもと反対の方を選ぶと「冒険できるかもしれない」という好奇心が顔を出して、選択を変えていく。普段とは違う状況を無意識に選択するようだ。長く続いている日々を抜け出して、より刺激的にしようと非日常感を味わいたくなる。今度は意識して右に行くぞ、と言って、自分で選んだ道を確かめながら選択する。その選択肢は自分で選び取っているのか、普段の行動の連続から無意識に選択しているのか、どちらだろう? なんとなく気になった。運命を引きつけるのは、行動した結果にあると誰かが言っていた。なるほどなと深く感心した。自然にやってくるのではなく、無意識化に自分で選択して選び取ったのが運命なのだ。


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