閉じた場所での歌い手

エッセイ
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メモに書く文章と、直接サイトに直書きするような文章。その違いは、メモの方がさらさらと書けること。今はこれを直書きしている。直書きすると、文体が少し硬くなる。エディタひとつで書き方まで変わるのは、文章の雰囲気を変えたい人にとって面白い。どんなものが完成するのかは、書き終えた後しかわからない。できるだけ新鮮な状態を好む私は、勢いで文章を書く傾向がある。あまり書いた内容を溜めることをしない。ときには、どこにも投稿しない文章をメモに書くこともある。投稿しようと思わずに書いた文章の方が、読んでいて楽しい気持ちになれるときがある。あれ、こっちを投稿したらよかったかも?

投稿する文章に時間をかけていなくて、自分のブログに愛がない人。ブログを書くからには育てたいと思うのが、普通の人の心。「育てるも何も、本日限りですが?」のような顔をしている。 本日きりで書き上げた文章に愛がないわけではない。書き上げた文章を、どこか排泄行為のようなものと思っている。今日のうんち。こういうのはあまりよくないんだった。気にしない、気にしない。下手したらアフィリエイトを止められてしまう。反省。猛省。小生。

気分のいいときとか、機嫌がいいときの私の文章はわかりやすい。軽い調子で書いてある。それが何かを意味するもの、といった噛み締めるタイプの内容ではなくなるけれど、楽しみながら書いているのがわかって、当時の書いたときのテンションが想像できる。親に似顔絵を描いて贈る前のような気持ち。きっと喜んでくれるはず!きっとではなく、確信してるのが強い。本当はそうじゃないかもしれないのに。そんなことはどうでもいいのだ。楽しめる時間が大事なのであって、似顔絵の完成度は二の次。自分が楽しいからする。楽しくないならやめる。楽しいと思って描いたものも、人を笑顔にする。わからないけれど。たぶん。

ブログを書くのも楽しいから続けられる。今は有料でブログを建てなくても、Webに書き散らしができる。誰でも文章を書く時代。SNSなり、仕事なり、プライベートなり。普通の人も配信をしたり、小説を書いたりしている。結構すごい。好きで何かをする人の輝いていること、輝いていること。根底には人に認められたい気持ちがあるかもしれないけれど、行動して自分の姿勢を見せる勇気が結構すごい。それも楽しんでいるのがわかる。そういうのをSNSで見かけると、ひっそり応援したくなる。その場限りだけれど。通り過ぎの人も応援している。たぶん。

そんな代打的に何かをやっています!と言えるものはないけれど、案外続いているこのブログ。ブログの内容こそ、人に読ませるものより、読みたいものと書きたいものがほとんどになっている。読まれる層は限定的。限定が小さな集落の一部のようでいいのかも。範囲が広くないからこそできる芸当がある。ヒソヒソヒソ話。内緒話ほど、人の興味を引くものはない。内緒だからこそ限定的で、「私だけかも」と思わせるような特別感が生まれる。実際はそうではないのだけれど。そうでないのだ笑。念のために強調しておく。

文章も読まれる媒体。完全に人を傷つけないような文章は難しい。できる限り、誰にでも楽しめるような仕上がりが理想だ。理想は理想。理想が本当の現実に近づくことはあっても、完全に一体にはならない。なりにくい。層をどうするのかが限定的すぎて、縛らなくても成立するような雰囲気がある。対象年齢を絞ってというのは、このブログに存在しないけれど、受け取って読む人にとっての何かしらの支えになれたら、それほどのものはない。見続けるのは、このブログに何かを見出しているからだと思うと受け取る。その内容がどんな類いのものでも、価値を提供したことになる。本当に興味がなかったら存在すら知らないし、内容もよくわからない。だんだん、エコーチェンバーなのか、自分に宛てられてるのかがわからない。何かあれば私の方に来るはず。

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