MacBookはどこにでも持ち運びができる。これ一台で仕事が完結できるようになった。ほとんどの時間をオンライン上で過ごすので、日常がすべてそこに詰まっているような錯覚を起こす。生身の体に注意を向けることは少なく、数時間して椅子から離れると、お尻の方に重心が傾く。お尻だけ重たい、という動かずに固定した生活を送っているのにとってはありがちな光景だ。今もいつもとは体勢を変えて、膝を曲げた上にMacBookを乗せている。数年前にStarbucksでこの状態のまま、画面を見つめながら作業している、お姉さんがいた。あの感じ、昔の私は新鮮に思えていたけれど、姿勢が悪くなってしまって、目にもやさしくないので、よろしくない。それでも、ときどき背中を丸めて作業したくなる。これはゲーム機を両手に持って熱心に画面を見る体勢に近く、懐かしさがある。そうして昔に戻った気になっている。
自分より小さな小型の電子機器には夢が詰まっている。それもまだ見ぬ夢。本当は現実で楽しむ方が良いけれど、腰が重い私にとっては、手にしたものが世界になり、視界になっていく。座ったまま視界が広くなれる。実際には何も変化がないにもかかわらず、感覚を延長した先に世界が存在している。読書を趣味にしている人もなんとなくそのきらいがある。ゲームのようにアバターが存在していて、擬似的に”こんな人いる”と体験している。いつかに備えたデモンストレーション。こんな形にしたら上手くいくはず、というシミュレーション。そういった想像が夢になっていく。想像と妄想。違いも曖昧で、感覚にはなかなか落とし込めないものたち。
バーチャルに住んでいる「私」は手荒れをしない設定でいるけれど、生身の人間はそうもいかない。手荒れが作業効率を著しく落としていく。
そんなこんなでここまで。
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