足取りの軽い建築家

エッセイ
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自分で建てた有料ブログには好きなことを詰め込める。

それを使わないのではもったいないと思っているけれど、どうも方向が定まらない。

色んなものを試しながら齧ってみました的なものでいこうとしている今がある。

エッセイだったり、ハウツーだったり、日記だったり。

まとまっていないものは綺麗ではない、と聞く。

本当かな?と思う。

無秩序だからこそ、あえてそれを作風に取り入れるのも面白い気がする。

面白いだけで手をつけるのはナンセンスなんて言われるけれど。

草がぼうぼうに伸びっぱなしになっているのを見ると、綺麗に思えてこないだろうか?

不思議なもので見方を変えると、捉え方もまた別の違ったものになる。

背景一つで見え方が変わる。変えることができる。

自然にも、誰かの書いた文章にも、捉え方が違う人の視点は気づきになる。

自分だけで完成させない物語が、人を通すことで動いていくのかもしれない。

遠くの知らない誰か、見知った誰か、今後関わる誰か。

自分の手だけで完結するものならメモで済む。

せっかく共有するなら、気づきを得た話とか、これからの将来を語るとか、夢のある話を書き続けたいと思う。

反対に、調子の悪いときや、やさぐれているときに、そのままの内容を文章にするのも面白いと思っている。

人が何かを考える時間は大抵、コンディションが悪い状態にやってくる。

生きていれば、あまり気が乗らない時期もやってくる。

楽しく過ごす時間は特に思い悩むこともなく、蛇口から流れた水のように過ぎていく。

けれど、思い悩んだ時期というのは、実は貴重でギフトなのだ。

それを受け取って次の山に登りにいく。

登っている間は、自分にとって必要なものが右にも左にも落ちているので、それを組み合わせて道具にしていけば、補助道具になる。

補助が多いほど、山は登りやすい。

だんだん登れる山が高くなると、目に見える道具の足しになるものは少なくなっていく。

立ち止まると、今ままで登ってきた山の頂点を見渡すことができるし、やり切った感が出てくる。

たくさんの山を越えると、苦しさだけで登ってきた山の数々だけではなく、今度は自分で課題を見つけて挑戦することができるようになる。

未開拓のものばかり手をつけていると、飽きが来ない。

同時進行で他の場所にも寄り道をしながら回って来れる。

別のものと思っていたものが、実は類似の内容が含まれていて、足しになることが多いように思う。

一つの視点だけでは見えてこなかった視点を足しにできて、新たな発見を得る。

人生、山あり谷あり。

人と見比べる以外にも、自分が過去にやってきた内容を振り返ってみると、意外とたくさんのことをしてきたのに気づく。

そんな発見が新しい芽を植える日々になるのだろう。

花咲爺さんならぬ、花咲婆さんになる将来を夢見ている。

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