自由型”かわむき”

エッセイ
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指の皮が剥けると、キーボードを叩くどころではない。痛過ぎて仕事にならない。ずっとデスクワークだったので、無理矢理指をキーに押し当てていた。たまに血が付着している… 必死に見えるも仕事も仕事。指の皮が乾燥し過ぎて、手を真っ直ぐにするのができない笑。まさかの。キーボードが仕事道具の人、どうしてるだろうか?と思うものの、涼しい顔。隣では顔を顰め気味に画面と睨めっこするのがいる、というのに。

ひっきりなしにハンドクリームを塗る。ベタついた指が周りをベトベトに汚していく…笑。ティシュで拭き取る。剥けた皮がキーボードの隙間に隠れていく。こんなとき、ホコリ除去道具が身近にあれば、と思いながら持っていくのを忘れる。それもまた日常だ。指がつるつるしていて、皮が剥けるのを知らない手を見ると、交換してくれ、とひっそり思う。手荒れは大変だ。

手荒れの話で埋まりそうになっている。それくらい指は見るも無惨な状態で痛々しい。痛々しいのを良いことに書いていても、視覚的にも読後にも痛さが増す。私はおそらく人よりもだいぶ痛がり。痛がり過ぎて、かえって痛みが消えていく。不思議だ。気持ちだけでも全面に表現することで、”痛み”が別の方へ逃げていく。あまり参考にならないかもしれないが、痛さを観察に変えると薬になる。病院嫌いで自然にさらすことで解決すると思っている私がここにいるだけ。良くなったのではなく、見えない嵐の前触れだったりして。

良いんだ。どう足掻いてもそのうち病気になる。病気を悪いものと思わず、上手に向き合って過ごすことが求められる。病気を制するより、病気と共にある。完全に良くなるのは見かけだけで、生命維持を延長しただけ。医療関係者に睨まれそうな書き方をしている。それでも、綺麗に繋いでくれることに感謝する。少しだけ伸びた寿命が、活動を豊かにする。この命リミットまでと、熱心な生き方をしているが、人がどんな状態で生きたいのかはその人自身の話。簡単で短くまとまる、「その人自身の問題」。いやぁ、日本語って便利だな、と。

そうこうしているうちにまた、痛みが減った。痛さは認知するより逃すのを優先している。痛がってるように見えるのに、実際に痛んでるのは自分の態度だったりして、様子がおかしい。何かと痛みの患部よりも、別の部分が痛み始める。感知できるのは感覚があるからとして、患部より遠い場所を見つめている。まるで、どこにもないものを見つめるように。

思考を書くのではなく、流れを意識させるのが良いエッセイの書き方だと言う。良し悪しもわからない。漂流してきたものがそこにあるだけ。雰囲気だけで楽しませる書き手になろうとして、思考の方も優先させたい、という欲張り。今は書くことを通して、考えをまとめていくスタイルの方がマイブームらしい。この流れは頻繁に変わる。直接人の目がないのを良いことに、好きなことをする。この状態で仕事が生まれるのは難しくなる。それでもいい、今を”かける”。書けると描けると駈ける。言葉遊びが好奇心を育てる。こうして気まぐれな好奇心が頻繁に続いた後に、徐々に形になっていくものを見る。それが今の楽しみになっている。

痛くてもいい、駆けろ!

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