邂逅

エッセイ
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ChatGPTと詩人ごっこをした。

詩の書き方とルールを無視して、好きなことを思いつくままに書く楽しさがあった。

文章を書く楽しさに似ていて、自分らしい書き方の基盤になりそうなものを掴める予感がする。

調べて記事を完成させるのは、時間がかかって大変、と避けている生活から抜け出せない今。

こうした楽しみが喜びを与えてくれる。

ブロガーらしい活動を疑問に思いながら続けている今は、人に届けるとは何か?を熱心に考えているらしい。

考えすぎると動けない。

動けないなら、動けないなりに自分を眺めてみようと思った。

初心に帰るに近い行動をすると、突破口が見える気がしている。

詩を作るのに、そんなパワーがあったとは知らなかった。

中学生の頃のレクリエーションで、バスの中で俳句を作って提出するイベントがあった。

五・七・五のリズムに則りながら、形式は自由に書いていく。

書き終わった後、先生が面白いと思った俳句を読み上げていった。

そこには、自分の名前を入れて書き上げる人もいれば、情景が見えてくるような、美しい俳句を作る人もいた。

自分の名前を上手く取り入れて俳句に生かすセンスは、名前がそうさせたのか、背景とマッチしていて面白かった。

アイディアが豊富で聞くだけでも楽しい。

子どもながらに子どもはすごいと思った。

あれから、自分で思いついて詩を作ることは少なかったけれど、キャッチコピーを考えるのに、リズムの良さを意識するのが増えた。

そのときに生きてくる。

呼吸のある文章はリズムが良い。

読んでいて、意味を考えるより先に肌に馴染んでくる。

そんな文章を自分も書きたいと思えるようになった。

文章をクリエイトするだけが仕事ではない、と言われる中で、あえてアイディアメーカーになる。

アイディアを描き続けるのは、何も難しいものではなく、呼吸のようなもの。

無理に力む必要はなくて、あるものだけで形作ることができる。

それは俳句が教えてくれた。

上手だとか下手だとかは気にせずに、ただ自分が思ったことをそのまま拾い上げていく活動なのだ。

もっと自由形式に詩を書いてみようと思いついた。

詩集を読む習慣はなかったが、前に図書館で読んだダリの詩が印象に残っていた。

内容は忘れても印象だけが残る詩というのは面白い。

詩も流れるように生きているのかもしれない。

西洋式にもルールがあるらしいけれど、よくわからないので適当に書いていく。

「情感たっぷりに書き上げるだけが詩ではない」という言葉から、閉じた空間や静止した時間をテーマにして描いた。

その詩を残しておけばよかったのだけれど、消してしまった。

はっきり記憶に残らないからこそ、儚くて描いたものが生きてくる。

創作の楽しさは、限られた時間の中でどう表現するのかにあった。

創作にはリミットがあるけれど、時間にはリミットがない。

ふよふよと、どこかへまだ浮かんでいるであろう詩を思いながら、微弱ながら創作の意義のようなものを掴めた気がしている。

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