マグカップとコーヒーカップ。
大容量で飲みたいときには、マグカップ。
ゆっくりと飲みたいときには、コーヒーカップ。
と、そんな使い分けをしている。
部屋の温度が低いので、大量に入るマグカップを好んでいる。
そのマグカップももう何年も使用している。
数年経っても、まだまだ現役だ。
長く使える食器とともに、私も同じように歳を重ねていく。
食器が変色して、私の皮膚もカサカサになり…。
指のひび割れが、私にも時間の経過を知らせてくれる。
言葉の表現を変えるだけで上品になる。
ものの言いようが明日を作る。
彩り豊かに日々を過ごすのは意外と簡単なのに、目に見えたものが欲しくて奔走したりしている。
本当はそんなことをしなくても生きていられる。
日常を「生きる」以外にも、走りながら何かを生み出すことを迫られる毎日。
私が生み出すものは、実際の形とは違っている。
言葉は表立って形にはならない。
読まれることで、何らかの形を人を経由して作り出していく。
完成を自分のものだけにせずに、人の手が加わることで形になる、そういったものを目指したいと思う。
文章は性質上、書き手だけで完結するような内容が多いけれど、人も私も一緒になってやっと完成できるものが、生み出したものになれると思っている。
何だか難しいことを言っている。
明日はどういった景色を見て過ごそうか。
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