ジャンルが不明の書き物

エッセイ
※当ブログはアフィリエイト広告を利用しています。

手が悴むほど寒い夜に、文章を書く。冷え切った部屋というのは引き締まるもので、寒いながら走り回ろうと自分を暖める。冬を越えるのを第一として、上着を羽織り、重ね着にする。他は暖めても足元だけはいつも裸足だ。何となく、裸足の方が快適に思えるような気がして好んでいる。これは菌の繁殖が抑えられるらしい。足元から冷えていくと思っているのに、寒さを凌ぐのを足だけは優先しない。剥き出しになった足は、今日も青白かった。

小説のワンシーンを切り取ったかのような表現で文章を書くと、いつもと違った楽しさがある。どの言葉をどこに置くのかを意識して書く。抽象的になりすぎないように、背景や風景で見せるようにして書き上げる。本当は、大方何を書くか決めてから入力していくのが理想だ。けれど、そんな時間もないと直接考えながら書いている。直接書く文章は、直線的で勢いのある文章が出来上がる。これによって文章の鮮度が上がる気がしている。雰囲気に変化を持たせたいときや、小説の一文を書くときの練習として活用できる。小説もどきの文章が書けるようになり、始まりの段階としては上出来かもしれない。ここは自分を褒めていく。

エッセイと小説の中間。エッセイは、現実の話を元に個人が体験した内容を、思考を交えて書いたものだ。本来はそういった性質が全面に出るので、小説のような虚構に向かわせるのは、エッセイとは違うジャンルになってしまう。ChatGPTに言わせれば、私小説のような雰囲気があるエッセイに近いそうだ。私小説なら、確かに現実を元にしている。元にはするけれど、表現のトーンを多少変える。物語に事件性がないと、単調な日記か、個人記録のような話になりかねない。トーンの調子でジャンルが変わるなら、実はエッセイにジャンルは不問なのかもしれない。

20世紀の小説家が、小説かエッセイか、ジャンルを特定できないような話を書いていた。私もその路線で狙っていけたら、と思っている。文章のジャンルよりも、書かれている内容と雰囲気を楽しむのが、昔の人の在り方だったかもしれない。今は、直接的な言葉を使用するのと、内容のわかりやすさが優先される。何が書かれているかも大事ではあるけれど、それよりも型でまとまったような文体が好まれる。

文章もその人の持ち味だ。変化はあった方が面白いと思う。伝えたい言葉を意識してはいるものの、全体を通すことで浮かび上がるような、手の込んだものを好む。仕掛けられたマジックのような話を好む。そうして私らしさを文章に滲ませる。出来上がりが、本日の成果物。成果物という言葉に置き換えると、途端に味がなくなってしまう。完成品、ということにしておこう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました