寒さがやって来る

エッセイ
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大量の情報を読み込んでも、吐き出せるのは僅かな情報だけ。読むとこれから何かを吐き出すことを期待するけれど、完全に飲み込めていない情報を処理するのは時間がかかる。よく咀嚼して味を確かめないと、何を食べているのかわかりにくい。情報も同じで、取り込むことのできる量は決まっているようだ。つい、アウトプットの材料にしようと期待する。あまり大量だとフリーズして逆にまとまらなくなってしまう。加減を調整しながらが理想だけれど、始めのうちは程度がわかりにくく、多めに取る。情けなく知恵熱を出して、冷えピタと共に夜を過ごすことになる。市販でも大人用の冷えピタが買えるようになっていて、もう子どもだけの商品ではなくなったようだ。ひょっとしたら、私が知らないだけで前からあったのかもしれない。それにしても冷えピタの救世主だこと。程度が軽い頭痛や、少し熱が出た、というときにおでこに貼ると、生き返る。今の時期は寒いので、体温が上がらない限り、冷えピタの冷たさに震え上がる。また、軽めの眼精疲労にも効果はあるようだ。冷えに注意しながら当てると、気が楽になるかもしれない。正しい使い方を知っているわけではないので、自己判断でお試しあれ。

PCや本に長時間目を通していると、頭痛がする。コーヒーを飲みすぎたときにもそれはやってくる。突然の脈を打つような頭痛はこめかみに重く響いてくる。しばらく放置したら治るとわかっているけれど、耐える時間が長くなると、あまり気持ちの良いものではない。痛みが体を蝕んでいく。その痛みが患部を中心に広がっていき、作業どころではない。あまり頭痛が頻繁に続くようであれば、病気を疑う、とあるけれど、まさか自分が、というので無視する。酷い場合のラインがわからないのが、病気の怖いところだ。これは体感でわかるものではなくて、日々の蓄積された疲れが体を壊していく。疲れを数値化して目に見える状態になればいくらか変わるだろうか? なんて思っているけれど、そんな機械的なことをしても人間らしくない。病気を知らずに眠りについた方が老衰で済むのに、原因を特定しようとするから夢がなくなる。これだから病院は嫌いだ。

こんなことを言うと病人みたいな雰囲気が漂う。目に見えて悪い箇所はないので、ピンピンしている。年齢を重ねると、体の状態が良くなることはないけれど、痛みをどれくらい和らげられるのかで、コンディションに違いが出てくる。直接痛みを感じることはなかったとしても、老化は進む。老化が進むことを「痛み」と言っているのか。それはそれでどうなんだろうか。よその人に怒られやしないか。どこか知らぬ若者の戯言なんだなと無視して過ごしてほしい。最近は赤の他人でも、我が事と言わんばかりに反応するらしい。困ったことだ。なんて言っている。勘弁してくれなんて思うけれど、直接被害がないのなら良いや、と他人事。冷たいのが増えた。

これから冬がやってくる。寒い時期にどれだけ耐えられるかがものをいう。世相も心なしか寒くなってきた。悲観していても仕方がない。そんな中でも現実逃避をするように、他へ退避して状況を塗り替えて仕舞えば良い、と本気で信じているらしいのがここにいる。心の動きは人に影響しない。影響するのは、人から受ける自分の態度だ。何事も、ものの見方が気持ちを変えていく。始めから悪いと思い込んで眺めていると、自分までもが寒くなって冷えていく。冷えすぎても仕方がないと切り替えるしかないのだ。心の灯火となるものを自分で持ち続けるのは難しいけれど、見方を少しズラして、ポジティブな方向で考えてみると、自分までもが温まっていく。「灯火は自分の中に」を合言葉にしよう。人を頼るなというわけではなくて、自分でできる最大限の「冬囲い」だ。何だか上手いことを言った気でいるけれど、どうだろう?

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