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散文

夏に向けて気温が上がっていくこの頃。

季節の変わり目に急な気温変化で体調を崩さないように工夫しようと毎回思うけれど、若干風邪ひいたかも(?)と毎度思う。

ニューシーズンの到来を感じる笑。まだ気が早いかもしれぬ。

ここ数年、咳が止まらない期間が出てきている。

咳は嘘っぽくゴホンゴホンする人のものかと思っていたが、そうではなく、喉に刺激を受けて勢いよく咽せ込むものなんだと思った時に少し老いを感じるようになった。

年代毎に”そういう期間”が出てくるのかもしれない。あぁ、来てしまった!みたいな。

これからはそれが普通の感覚になっていくのだと思うと、老いの受け入れを認めた気がしてなんとも言えない感覚になる。

今まで体験しなかったステージが幕を開けるかのように目の前に立ちはだかる。

急に来る対面にはどう接して良いのか戸惑うものである。

それを数年間重ねるとその幕開けと上手に並んでいられるようになる。

慣れとは不思議だ。慣れたくもないのかもしれないが。

幼少期のフレッシュさとは違う面持ちでいることを強制されているような変な感覚だけが残る。

どうやらまだしっくりと来ていないらしい。

気持ちだけはいつもフレッシュであれと、新鮮な空気を取り込んでいる。

自分の感覚にないものを外から持ち込んでブレンドさせて変化することを求めるようである。

そのときの流れを読んで変化を受け入れるものが進化するものという進化論が頭を過ぎる。

進化し続けられることが、その時代を適応して生きていけるということなのだ。

周りと足並みを揃えるということではなく、流れを読むこと。

何やら流行の最先端を行くような雰囲気があるが、そうではない。

感覚を言葉で表現しようとすると、どれも適切ではなく”そういう感覚”としか言えないが。

曖昧さを明確にしていくことが詳細を知ることになるのだろう。

これからを楽しみに探検していきたい。

ずっと歩いてばかりでは喉が渇く。

時には給水ポイントを見つけるように歩くことも必要だということを人生は教えてくれる。

まるで大自然の中に放り込まれたようである。

自分と他のものとの感覚の違いを意識して行動することを迫られる。

文化が違えば特色も違う。

口だけ達者でいても行動が伴っていないのだからそこに説得力は生まれない。

人から認められるように動くことを意識するのもしないのも人の勝手だ。

その行動にはどんな意味があるのか?と問いかけする人がいるということは、興味は持たれているのだと思う。

答えるのもよし、答えないのもよし、なんでもありだ。

自由空間に投げられると自由すぎてフリーズすることがある笑。

自由すぎるというのも不安要素になるのだろう。

そこで自らを縛るような行動を取りたくなり、どんどん選択範囲を狭めていってしまう。

雁字搦めに自分を縛っているのに気がつくのは、少しだけ余裕があると思った頃である。

それか、余裕がなくなって自分と強制的に対面しないといけなくなった頃か…

上手く距離を取ったり、境界線を引いたりして、自他との違いを認識していく。

どちらかと言うと、私は境界線がないタイプの人間に思う。

誰でもOKということは誰でも来ることなのだが、あまり意識せずにいる笑。

人類皆友だちみたいなゆるさが残る。それでも良いけど、それができるのはかなり確立した超人になる必要が出てくる笑。

超人とまではいかなくとも、かなり善良な人だろう。

そんな神みたいな人になりたいのか。そうではないだろう。

もしかしたらなりたいのかもしれないが笑。人間離れした超人は魅力的に映る笑。

意識して苦しくなるようであれば一旦手放すことも必要だ。

後からついてくることもあるので、今は何が必要かを集めて行動していく。

せっかく物質豊かな国に住んでいるのだから、そちら方面も疎かにしていてはもったいないだろう。

それこそ歳を重ねたら体力的に厳しくてできなくなることもあるのだから。

今が一番若い。これだけ頭にあれば何でもチャレンジしてみたくなる。

今に吼えろってわけだ。違うかも。

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