小さな生活

散文

熱が籠ると眠くなる。

ついさっきまで、うとうとしていた。

iPadが手から滑り落ちて、音を立てて床に落ちたのを合図に、目が覚めた。

それは目覚めの悪いアラームだった。

丈夫に造られているとはいえ、電子端末を落とすのは壊れやしないかとヒヤヒヤする。

動作に問題ないか確認する癖がまだ残っているのは、製品に対しての信頼が薄いからだろうか。

一応は耐久テストに耐えられることを謳っていたはずだ。

それを何回も繰り返すと本当に壊れることもある。

実際に、前に使っていたのを落として、液晶を割ってしまった。

三年ほど使用した端末だった。

動作が鈍いなと言っていた頃だったので、ちょうど良い買い替え時期だった。

端末の寿命を目にすると、使い切った満足感と死んでしまった喪失感の相反する気持ちが交差した。

あの微妙で奇妙な気味の悪さは、いつまでも私自身に纏わり付いて来るようだった。

特に、愛着を感じていて、長年共に過ごした食器が不注意で割れてしまったときに、強く思い起こすようであった。

何度も使っていた食器が手元に無くなる喪失感は、自分の中から何か大事なものが欠けたようで、気味が悪かった。

割れた破片を塵取りで掻き集めて、その亡骸を見つめては溜息をついた。

感傷に浸るのが割れた食器への供養となった。

また、その食器を使用して食べたメニューの数々を思い返しては、寿命までよくぞ活躍してくれた、と静かに褒め称えるのであった。

時間を置いて、食器を取り出そうとしたときに、欠けた場所を見つめては、また思い出して溜息をついた。

仕方なしに他の食器を取り出した。

あとこれが人生に何回続くのだろうと、これからのことを思っては、感傷に浸る楽しみを堪能しているようであった。

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