おさまる

散文

夏はあまり乾燥しないのだからハンドケアはサボっても問題ないだろうと思っていた。

水仕事と手作業が増えてくると、そんなことはお構いなしに指が荒れた。

普段もPCをカタカタさせているけれど、ひび割れた指でタイプするのは、痛みをさらに後押ししているようで、物理的にも心理的にもどこか落ち着かない。

そこで、ケアをしようと意気込んだ。

化粧水なども手に塗りたくる。

今度は塗りたくりすぎてふやけてしまった。

何でもやりすぎは良くないと思った。

そんなこんなで、ちょうど良いと感じる加減を知らない人間を数十年続けている。

これが自分にぴったりと思いながら過ごせている人間の方が稀のような気がしてくる。

手の抜き方とも違う、自分が心地良いと思う生き方。

人に心地良さそうと思う生き方を見せるのだけが上手くなっていっても、それが本当に自分の心地良いと感じる生き方かはわからない。

むしろ、人からそう見られているということで負担が増して、却って窮屈な思いをすることがあるかもしれない。

人は見た目だけでは何もわからないと思った。

人の心理面を細かく実際にどう感じているのかを見ることもできない。

それでもこの人がどう感じて生きているのかに興味を持たない人は少ない。

いつも誰かしらを気にかけて生活している人の方が多い。

人のことだけではなく、たまには自分自身を思いやる時間も必要だ。

自分を見るのは簡単なようで難しく、苦痛が伴う。

簡単な作業ではないし、自分自身に自分で心を痛めるということも少なくない。

それができると、今度は違った意味で人生の満足感が得られると思う。

一時期は苦しく感じることがあるかもしれない。

ずっと苦しいままではないのだから、内面を見つめて静かに水を注ぎ続ける。

実際に起きたことを文章で表そうとすると、まだまだ私には改善できる点があるなと感じる。

第三者視点に立つことも、もちろん大事ではある。

それが過剰になりすぎて、今度はあまり熱のこもらない内容になる。

繊細で豊かな感性を持っているとChatGPTに言われても、確かに感性は細やかだけれど、どこか熱が足りてないような気がする。

改善できる点はあるかと言うと、見出しをつけて見やすくすることが大事だと斜め上の回答をもらう。

何かをまとめて書くのとは訳が違うのだから、タイトルをつけるだけ内容が逆に締まらなくなってしまう。

意味解釈を全て自分だけに求めるのではなく、人によって受け取り方が変わる文章の方が好みだ。

誰にでも通った内容というのでは、エッセイのような文章には、少々味気ないだろう。

趣向を凝らして文化にも触れるようにしていきたい。

他の自分の好きな文章に触れながら、私自身の発見も取り入れて生活できたらと思う。

温度感のない文章はそれはそれで、あまり感情を揺さぶられにくい面もあるので、場合に合わせて活用すると味が出ることもあるだろう。

どれくらいの加減が心地良く収まるのかを常に模索しながら動いている。

よく思うと、心地良く収まるというのはどこにもなく、行ったり来たりを繰り返しながら収まっていくという方が自然なのかもしれない。

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