ないものが別の可能性を秘めている

散文

暗い内容の記事を書いてはいけないと頭の片隅に置きながら書くのは苦痛である。

早速記事を書くのに手こずっているらしい。

朝にこれを書こうと思いついたものの、自分が何を書きたいのかすっかり忘れてしまった。

様々な日常生活のタスクが私のリマインダーに記憶されることはないのだと知った。

タスク管理とまとめて記録をつけるような細やかさはなく、大体これくらいとアバウトな感覚でやり過ごしている。

今日はこれをすると残していても、タスク管理が何も機能していないことなどざらにある。

決めた予定から離れることの方に注意を向けているんじゃないかと思えるほどだ。

良い加減で杜撰な管理である。

キチキチしていないからこそのゆとりと穏やかさはどこかにあるのだろう。

ものを覚え続けてばかりだと様々なものが横切って雑音が多くなる。

雑音が多くなると頭はクリアでいられなくなるし、色んな物事を抱えながら過ごすことになる。

タスクも抱え込みすぎると優先順位を考え直すことから始まって段々慌ただしくなる。

ただでさえ忙しい現代人があれもこれもと抱え込んで動くので、奥に押しやったあまり重要ではない物事が優先されなくなる。

優先されないものが自分の生活を彩るものだったのかもしれないと思うと、何か貴重なものをどこかに落としたような気がしてくる。

立ち止まってそれを探しに出かけると今度は重要だったタスクが優先されなくなる。

こちらを立てればあちらが立たず。

両立させて行動することの難しさ。たまにはどっちもを選んで行動できるようにならないものか。

欲張りたい。欲張れない。欲張りたい。あれもこれもそれもどれも私のもの。ヨクバリス。

貪欲に追い求めることを私自身がどこかでブロックしているのだろうか。

時間がないと言うと本当に時間がなくなる。

時間がないのではなく、時間は作るものだと意識するのを心がける。

よくある話だ。

本当は〇〇をしたかったけど、時間がないからできないと言い訳に使いやすい。

本当にしたかったことなら何故優先されずに忘れ去られているのだろうか?

あまり優先したいと思っていないけど、心象を良くするために「本当は」という言葉が出てくるのだろうか。

私も調子良くその場を切り抜けようとして「本当は」という言葉を簡単に使うことがある。

反射的に口に出して話を合わせようとする。はたまた防御か。使いやすくて便利なんだ。

社会に揉まれるうちに身につけた暗黙の了解の上に成り立っている「私は理解している」。

あまり理解していなくても、理解してないと意思表示はできるだけしないようにと言われて育てられたりする。

逆に理解してないことははっきり意思表示しなさいと言うのもある。

あれをするな、これをするな。

しないことばかりを選択させられたような気がして段々と意気消沈してくる言葉だ。

開き直って、しないことをするにしたら周りの言葉があまり重要なものに聞こえなくなるので、行き詰まって生きづらさを感じているときは試している。

社会的信用はなくなるかもしれない。が、気にしてばかりもいられない。

それよりももっと重要なことがある。

自分に合う選択を導く存在は人ではなく自分自身にある。

人がおすすめしたことやアドバイスはその場で言っただけで、後々の行動に責任を持ってくれるものでもない。

有益なものもあるので、聞く耳を持たずに意固地になる必要もない。

手放しに耳を傾ける、それだけでいい。

人の解釈を自分なりに置き換えることばかりで消耗していても仕方がない。

人の意見は人のもので自分のものではない。距離を取ることも時には有効である。

これをすれば安心!と言うものが世の中には蔓延っているが、そんな単純なものでもない。

目先のものに安心感を覚えて同じような行動をしていても、本来解決したかったこととは違うものにすり替えられてしまうこともある。

ものを売るのが仕事だと割り切って生活している人と、本当に問題解決をしたい人とでは目的意識が最初から異なっている。

何でもかんでもを鵜呑みにするのではなく、一旦自分の中に持ち帰って吟味することも大事である。

ないないと続け様に書いていて自分でもどこか息苦しさを覚える。

ないものをないと言うのではなく、少しずつあるものに目を向けて話ができるような人間になりたいと思う。

最初は似たような思考パターンから抜け出すのを難しく思うかもしれない。

いつも同じところにいても状況は変わらないので、泥まみれになってでも転がり続けることを選んでみようと思う。

ずっと綺麗なままでいても面白くないとよく思う。

その第一歩が泥の中に飛び込むである。真似しないほうがよろしいと思う。

どうも冒険家とか探検家のきらいがあるらしく飛び込まないと気が済まないようである。

何かを新しく始めたいと思う人には勇気ある行動になるのかもしれない。

失敗するとか成功するとかはあまり留めないで突っ込んでいこうと思う。

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