硬さと柔らかさ

散文

暗めの記事は書きやすい。

あまり意識を高く保つことなく、好きなテンションで書いていられる。

マイナス面としては、この人は日常で満足してないのかといった印象になりがちだ。

実際にそうである笑。

自分で踏み込んでいったのに、あまり大したことはせず、コツコツ、コツコツと何が楽しくて続けているのだろうかと不満気だ笑。

そんなに不満なら辞めればいいのに、は確かにその通りだ。

不満はあっても、自分の手がけたものがしっかり終えられると、小さな満足感がある。

もう少し何か手をつけられるといいなと思っているけれど、自分で何かすることといえば、文章を書いている、くらいだ。

今の時代、気持ちを言葉に乗せて書いていける人は求められている。

少し前までは、表に出て言葉にすることは、はしたないと言われていた。

それがここ数十年で変わり、意見を持つことは素晴らしいと方向転換した。

日本語はとても柔らかい。

柔らかい言語に硬い言葉は合いにくい。

合いにくいにもかかわらず、欧米スタイルのような硬くてダイレクトに伝わるような言葉が使われるようになった。

無理に合わせず、柔らかさは残したままでいいじゃないかと思っている。

日本語は論理に弱いと言われているけれど。賛否両論あり。

平安時代の情緒的な文章が色濃く表れているように感じて、日本語は感情を言葉に乗せるのが得意な言語だなと思っている。

日本語の文章によって、誰かの感情と感情を繋ぐ時代がまた再熱するかもしれない、と少しワクワクしている。

ダイレクトにならない曖昧さと余韻を残すことにかけては魅力たっぷりではないか。

これが何かを主張しようとすると、誤解が生まれやすくなる、といった、なかなかに情緒的な言語だ。

多様性が持て囃されている今、日本語にも多様性をということで新しい試みが始まっているのかもしれない。

あまり言葉が崩れるのは好きではないけれど、これからどういった方向に日本語が社会に浸透していくのかを見届けたい。

漢字の中にひらがなが混ざるような絶妙なバランスを保った文章が理想だ。

硬すぎてもダメ、柔らかすぎてもダメ。

中間くらいの硬さが残るのが、ちょうどいいなと思う。

良いところを取るのが好きな私らしい在り方だった。

ただ、現実には中間でいることは難しいのか、上下左右、縦横無尽に飛び出してしまうきらいがある。

整えない、というのが生命らしい在り方だと、どこか誇りに思う私であった。

開き直るとも違う、自分自身をも受け容れようとする寛容さと、信じているという強さがある。

自分で言うか笑。

日本語の効力と恩恵を預かりたい。

日本で発展した文化も、色んな国から持ち寄った技術や技法、心構えといったものがある。

国を代表しての個性というものは、他の国に比べると弱いかもしれないけれど、柔軟に何でも受け容れて、新しい形に変えていこう、といった精神は決して弱いものではないと私は思う。

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