ずっと続けているものがあるのかを思い返してみた。
私が続けているものといえば、よく文章に触れることだった。
文章は読むのも書くのも好きな方だと思っている。
文章の何が良いのかというと、自分の好きなペースで触れられることだ。
もし途中で読むのを辞めてしまっても、またどこかのタイミングで読み直すことができる。
今は何でもそうだったか。
情報量の多いSNSだとたまに見逃すことがあるくらいだろうか。
文章に触れることで、内面を見つめ直したり、ブラッシュアップしたりする時間が増えて、自分が思う以上の満足感がそこにあると思うようになった。
長いこと独り言を殴り書きするように書いているが、その時間が割合好きである。
暇さえあればメモに起こすような異常行動を数年続けている。
何を熱心にぶつくさ呟くことがあるのだろうかと自分でも思う。
ゲーム感覚でテンポよく呟くことを楽しみにしているのだろうか。
それとも、何かしらを自分の中でまとめたという心地良さが好きなのだろうか。
おそらくどっちも持っているのだろう。
書くのは楽しみになるし、心の栄養にもなる。
自分の言葉で何かを書いたという満足感と、物語チックな内容を思いついて言葉にできたことが嬉しい。
創作物を作る訳ではないけれど、自分にも何かができたという気になるのだ。
ハードルは低く設定した方が達成しやすく、後々の行動に自信が持てるようになる。
学生から社会人になったときに、社会と自己とで大きなギャップが生まれてしまい、何をどう発散させたらいいのか混乱してパニックのようになったことがあった。
行動はとても静かなものだったが、内面がどこか騒がしかった。
そこで内面を落ち着かせるために、とにかくよく独り言を呟いたり、メモしたりしていた。
最初のうちは、その内容自体も混乱を極めていたが、しばらく壁打ちすると、だんだんと落ち着いてきて、まともな内容に変わっていった。
その変化を目で見ることができるのも、自分を落ち着かせる材料になったのかもしれない。
何となく気分が明るくなったと感じるので、話題を他のものにどれだけ変えていけるのか、という謎の試みが始まる。
白熱してしまい、何時間も電子機器と睨めっこしていた、なんてことも珍しくない。
私は何をやっているのだろう。
そのメモを土台にしてブログを書いたらいいと思うが、その内容もまた一から組み立てたいと感じるようだ。
自分には何か新鮮な流れを大事にする節があるらしい。
一度組み立てた断片のようなものを合わせるだけでは満足せず、内容に変化を持たせる話を自分に課すようになる。
変なこだわりが私にものを考えるという時間を与えた。
文章だけでは表現しきれていない部分も多くはあるのだが、常に何かしらをテーマにして自分に問いかけている。
身にならない無駄話が重さを占めているが。
無駄から創作が生まれると信じているので、馬鹿にならないと思っている。
ただ、それが常に頭を突いて離れなくなると、日常に支障が出るので問題だ。
お茶目ということにして目を瞑っているが、あまりにも続くと時間意識が消えてしまい、社会生活に適応できるのか怪しくなってしまう。
余程何かを成し遂げている人なら違っただろうかと思う。
そんな夢物語と実際にそうなったらいいのになをシーソーしてバランスを保っている。
現実と空想の間で生きる人間っぽくて、それはそれでなかなか器用ではなかろうか。と、思い始めた。


コメント