この定規を売ります 3

この定規を売ります

ぼんやりしていたら、坊主頭にはちまきを巻いている人が砂を撒き散らしながら道を通っていった。唾を飲み込もうとすると舌がざらついた。

その坊主頭は急いでいるのか、落とした黄色い定規には気づかなかったようだ。定規を拾い上げると、薄くてつるつるとした触感があった。スタンダードな定規はもっと分厚くて、定規の存在そのものを知らしめていたが、この定規にそういった主張はなく、至ってシンプルなものだった。目を瞑ってこの定規に触れたとしても、何に触れたのか認知できなかっただろう。形と手触りは、よくある薄っぺらいもので、書き物をするときのプラスチック製の下敷きに似ていた。

小学生の頃、日常的に持ち歩いたことがある人もいるかと思う。この便利道具、風を送り込むうちわにもなり、定規を忘れたときの代用として使用できる。とても便利な優れものとして使っていたのが懐かしく思い出された。今でも書き物をするときにこの下敷きを使う。

昔と違うのは、いくらか成長した証として、下敷きのバリエーションを増やしていることだ。プラスチック製の下敷きはよく見かけるけれど、布製の下敷きというのはあまり馴染みがない。文房具に興味を持っていて、定期的に文房具売り場を覗いている人にしかわからない代物だと思っている。それか単に、私が無知なだけだろう。

私はあまり世間の細々としたことに興味が持てず、見知ったものと興味深いものしか目に入れようとしない。たまにこうして外に出てみると、自分の知らないものが辺り一面に広がっていて、感動を覚える。「なんだこれは!」と大人になった今でも言うし、真新しさで視界がすぐ開けるような素直さも、同時に持ち併せている。頑固な部分も持ってはいるけれど、私は人が思うよりずっと素直で純粋だと自分でそう思っている。

自分の性質を自分で口にするのは、おかしな雰囲気がある。人に言われて初めて自分の性質がわかると言われるけれど、その感覚をあまり当てにしてないのは何故だろうか。

人の気持ちをコントロールしていないのでわからないけれど、人が見ている色眼鏡の存在がわからないままに評価されても、なんとなく嬉しさや、ありがたさを感じない。むしろ、余計な情報を無駄に取り込んでいくような類のもので、ありがた迷惑のように感じる。

これは、人には聞き捨てならない言葉を並べがちな私が思うことなのだ。人に対しても何か当てになるようなことは一言も言いはしないし、人の役に立つなんてごめんだね、とすら思っている。私の視点があなたの人生の発展に繋がります、なんて思ったことがないし、そういう状態で人に何かを渡すのを気持ち悪く思う。感覚が正直で誤魔化しが効かない私は、世間に自分を馴染ませていくことの億劫さを感じている。

スタンダードな人間像とは、かけ離れた存在になってしまうけれど、こういう生き方も人生をしっかり生きているようで良いと思っている。もし、似たような人間がいて、何かに困っている、ということであれば、是非とも力になりたいと思うし、協力してできる道を探そうと言うだろう。

––そんなことを思いながら、このつるつるな黄色い定規の感触を確かめるように、眺めたり触ったりしていた。これも普通とは違うけれど、新しい道を模索した結果が反映されているようで、共感が持てる気がした。シンプルでありながら、自力で形を作ろうとしている過程のような感じがして、今の私の感覚にもよく馴染む。

「馴染む」という言葉がよく出るのは、ここでどんな形でもいいから綺麗に収まりたいと願う、私自身が反映されているのだろうな、と思った。

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