必要以上に交わらない

エッセイ

小さい頃から集団行動が苦手で、できる限りそういったものからは離れたいと強く思っている。かといって個人で何か新しく事業を起こしてみよう!といった起業精神は乏しく、人に対して利益になるようなリソースも提供したいとは思わない。社会的に言えば使えない人。そんな人間でもどこかに勤めて仕事しているのが自分でも不思議で仕方がない。感覚だけを現場に合わせた気になっているけれど、完全に人に合わせて行動しようと思う精神もないのが悪目立ちする。集団行動やり切れないなとぼやいて、糞食らえになる。そんなやり切れなさを抱えてもうまくやっていくんだよ!と聞く。私には正気か?にしかならない。何とか身をその場所に合わせて適応していこうとする姿勢を見るたびに感心する。すごいなぁ、私にははきないや。途中までできても、完全に合わせたいとも思えないし、そこで身を埋めたいともまっったく思えない。人以上に自我が強いのかもなと苦笑いして、完全に染まり切らないところが自分の良さだと、自分を褒める。

年を重ねるたびに直接褒められるようなことはなくなっていく。お世辞でも褒められると喜ぶような単純な人間が私だ。それお世辞だよと言われてもありがたく受け取る。人間関係も風通しがいいものがいいと、遠回り的な表現ばかりの集団には極力加わらない。そうして、人付き合いの悪い人になっていった。

人間関係なんて関係が少ない方がいいに決まってるだろ!が私の中からは消えなかった。直接言えばいいものをと遠回りして、わざわざ傷をつけるような行動をする人が信じられないでいる。そういったものなのかな?なんて思いながらパラパラ本を捲っていく。そういうもんなんだよ、と返ってきた。そうか、じゃあ仕方ないね。余計に人と関係を築くのに消極的になった気がする。

心を通い合わせるのが人間関係だと信じて疑わないので、あとはその他大勢になってしまう。家族とそれ以外、みたいな極端。こちらから心を開けば人は心を開いてくれるよ、と言う。事実だと思う。でもコストがかかりすぎる!!!やろうと思えばできる。やる気がない。疲れる。何で私がこんなことしないといけないんだ!になる。

どこか子どもっぽい部分を持っていて、自分のしたいことは何が何でもしたいと思う。やりたくないことはやりたくない。少しの我慢もしたくないのが強いので、社会生活をしたいとも思えなくなる。周囲の人は嫌がりながらも楽しそうに交わっている。通勤ラッシュに見かけた顔が、一人でトボトボと歩いていく背中は、どこか哀愁が漂っていて人生を諦めたといった雰囲気を撒き散らしていた。私はああなりたくないぞ、意地でもなってやるもんか!なんて心に決めたのだった。

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