真似ることで見えた足場

エッセイ

お手本がいる環境は参考にしやすい。動きや考え方を模倣するだけで、自分でできた気になってくる。完全に自分のものにしていない状態でも、一応は形になって表示できる。しばらくは、お手本に憑依されたかのような、お手本と一体となったような感じがある。模倣からアレンジが加わるのは、ずっと後だ。これを他の視点の模倣を取り入れて繰り返し重ねていくと、ある日、自分が自在に動けると思うようになる。ここで少しずつ模倣していった材料から、自分でも何か形にできそうだと、柔軟に動けるようになる。
こうした自分でもできるという、小さな成功体験がだんだんと自信に変わっていく。

小さい頃、遊具で遊ぶ頻度はそこまで多くなかった。ある日の学校で、もし災害が起きたときに逃げるのが大事だと言う。そこで、ケース別に運動するように言われ、各自がその内容をこなしていく。この頃はオリエンテーションで運動公園に来ていた。
高い場所が苦手でアスレチック遊具を大の苦手にしていた。見るだけで体が拒絶した。あまり遊具で遊ばなかった私は、当然ながら動きが鈍い。他がどんどん進む中、一人足が竦んで次の一歩を踏み出せないでいる。もたもたしているうちに、私の後ろが詰まり始めた。それでも動けないでいる。見かねた先生が声をかけに来るが、まるで木の上に登って降りられない猫のように固まっていた。仕方なしにその場面では、友だちの助けが入り、なんとか降りることができた。

後日、体を動かすのも大事だと親に連れられて公園に来た。「はぁ…、また公園か。固まってたの思い出すなぁ…」そこにあったのは、前に見たのに似た、アスレチック遊具があった。「さあ。それを使ってこっちまで来てごらん」「うげぇ…」また同じように固まった。親は苦笑いしている。遊具は安全に作られているから丈夫だと言われても、それを信用できない私。一歩を踏み込むと足場が崩れて地面真っ逆さまに落ちていく想像ばかりが脳内で繰り返される。イメージが最悪なのもあり、恐怖心しか生まれない。うじうじ、もたもたが消えない時間が10分、20分と過ぎていった。親は寛大でニコニコしながら様子を見守っている。こっちには来ない。これでは雛の巣立ち前に飛ぶ様子を見守るようではないかと思った。

そんなときに、少女がこっちへやって来る。遊具で遊ぼうとしていた。すごすごと「お先にどうぞ…」と場所を譲る。軽やかに親の近くまで降りていった。「はぇー、すごい身体能力で」思わず拍手。親が他の作戦に出た。その少女にあそこで固まっているののお手本をしてくれないかと頼み込んだ。快く快諾してくれて、お手本の少女はゆっくりと動作を見せてくれるようになった。何度も何度も丁寧に。

効果があり、動きを目で追ううちに、自分が下まで降りていくイメージが生まれてきた。「次で行ってみる」と少女に言ってOKをもらう。足取りはもたついて動きもイマイチだったが、脳内のイメージが作り変わったおかげで降りられた。たったそれだけなのに、「自分でもできた」ことが大変嬉しかった。そうか、こうやって降りていくんだ!何度かその遊具を使って降りていった。しばらくして、親が「他の遊具を使おう」と提案して、場所を移る。応用は利かないようで、また固まった。イメージがリセットされたからだ。また少女がお手本として軽やかな動きを見せる、そうしてイメージが作り変わり、行動に移せるようになった。
少女の名前を聞かなかったが、今はどんな大人になっているのだろう。

物事が円滑に進む前には、そのイメージができあがっているのが大事だと思った。いきなり動かそうとしても固まってしまうタイプには、イメージを作り変えることを先にしたほうがよかった。スムーズとはいかないまでも、そのぎこちなさからひょんなことで生まれてくる状況を楽しみたいと思う。

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