最近の書いた文章をChatGPTに添削してもらった。
これはブログの文章になっているだろうか、と。
ブログ向けというより、エッセイやコラム記事に近い文章だと言われた。
そうか、SEOを意識するまで、気が回っていなかったのか。
ブログにはSEOを意識した文章を書いた方が良い、と言われている。
キーワードを頻繁に使用して書かなければならないけれど、繰り返すと野暮ったくなってしまう。
文章をメインに持っていくと、解決する文章、というよりは、読みやすくて親しみやすさがある文章になる。
これは好みが分かれるかもしれない。
読者を意識しすぎると、対面で接しているような緊張感が指に伝わって、書く手が止まる。
対面が得意ではない私は、人を意識すればするほど、ぎこちなくなっていく。
書くことを本業にしている人は、普段どんなことを思いながら文章と向き合っているのだろう?
人の顔を意識する、というよりは、自身で経験した事柄、体験を通じて得た所感を通して、人を見ようとするところがある、と感じる。
人の考えだけではなく、自身の視点も入った、生きた文面である。
ブログでもそのような息遣いのある文章を書きたい。
息遣いがあって、自身のキャラも見えて、SEOを意識したとなると、かなりハードルが高くなる。
最初から飛ばしても仕方がない。
オリジナリティは求められていないけれど、書きたい文章をそのまま形に表せるのが、表現者なのだ。
表現者というと聞こえは良いけれど。
一応は作家志望で文章で食べていきたいと、Webライターを目指している。
Webライターとブロガー、小説家、表現者は文章の書き方が変わる。
文章に技巧はいらない。
正しく、正確な文章は、外側の輪郭がはっきりしていて、内容が伝われば及第点だ。
伝わるだけではダメで、余韻や余白を残したいと思うと、書きすぎずにボヤけさせるテクニックがいる。
テクニカルな文章を、いかに不自然なく読ませるのかが、プロなのだ。
と、勝手にプロを想像してみた。
実は、短編小説さえも完成させた経験がない。
短編小説と言っても、3万文字から4万文字程度が必要になる。
書けてせいぜい4000文字程度で、それを10日続ければ形にはなるのだ。
形になっても、文面が意味を通らなければ、作品として成立しにくい難しさがある。
書き続けていれば形にはなるのだ。
書けない日にも、キーボードを叩く。


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