決断を迫られるときになって、一旦保留と先延ばしにする。
そういったどうしようもない、根無し草のような生活の中にも、一歩だけ踏み出せることがある。
信じているだけでは何にもならないけれど、無いよりはあった方がマシなのだ、という顔をして今日も一日が過ぎていこうとしている。
※ネタバレをしない程度に「個人的な体験」を通して思った感想を書いてみました。
人生に選択は付きものだ
人生に選択が必要だと言われているけれど、本当に自力で用意する選択などは、あるのだろうか?
用意されたように思えて、現状からいくらか近い将来の選択を選ばされている。
それは今までの自分が行動してきた中から自然と選ばれる。
何に興味を持っているのかわからないうちに、義務教育の終わり頃から進路を決めていく。
特段何か熱意があるわけでもない私は、近所から近い場所に進路に決める。
近ければ良いのだ、という顔をして。
深く考えない勢いが、そこにはあった。
よく迷っている
選択がある度に、真っ直ぐと進んだ。
自己分析から自分の性格と特性を把握して、その先の進路を見極めよう、などと言われる。
素直な私はすぐに自分の性格を書き出す。
いくらか正直で真っ直ぐなのが取り柄だ。
それ以外の、「何に興味を持っているのか?」という問いかけが、険しい道の片道切符のような気がして、踏み出せない。
踏ん切りがつかない。
人はそれを、興味を持っていないからだ、と言う。
このまま選び取って、その物事から興味が逸れたらどうしよう?とか、
自分にできないという可能性を突きつけられたらどうしよう?
という心配の方が大きいのかもしれない。
それでも進むしかない
時間は止まってくれない。
今こうして文章を書いている間にも、1秒1秒刻まれている。そうして寿命も少しずつ短くなっていく。
まだ、自分にはたくさんの時間が残されている、と思いすぎない方が良いのだろう。
また、生きるのにもお金がいる。
お金をどうするのか、選択が迫られる。
生きているだけでお金がかかる。
それはおかしい。と、思う。
他の動植物のように、自然とその場所に居て、いくらか咲き誇っていればそれでよかったはずだ。
それをするのにも、お金がかかる。
「これはおかしい、非常事態だ」と言って、現実を突きつけられる。
急いで収入を得る計画を、と準備をするけれど、人生いつでも行き当たりばったり。
ご利用は計画的に、というCMが頭を過ぎる。
生きるのが下手クソでも
自覚はある。
私は生きるのが人一倍下手クソだ。
鈍臭いし、行動に起こすまでに時間がかかるし、おまけにマイペースときた。
何をしたいのかもパッとしない。
ただ、そのときにしたいと思ったことに手をつける。
ある意味贅沢かもしれないけれど、急いでないように見えて人一倍困っていたりする。
しかも、何に困っているのかもさっぱりわからない。
慢性的な不安ばかりが後に残る。
そんな人生も面白いよな、と漠然に思いながら楽しむマイペースさが取り柄だ。
できないことを憂うのではなく、てるてる坊主に祈るくらいの軽さが、きっとちょうどいい。
とりあえず踏み込んでみよう
一歩を踏み出すのに慎重になりすぎて、チャンスを逃していてももったいない。
いくらか興味があるのなら、その分野に何かしら惹かれていることが多いと思う。
はじめの一歩、として手をつけてみよう。
最初はできないのが当たり前かもしれない。
長く続けているうちに、自分が何に向いているのか傾向がわかってくる。
すぐ手放してばかりいては、感覚を掴めないので、握ってみる。
握る勇気を持った瞬間から、踏み込みたい進路は始まっている。
今日は何を始めますか?
最後に
ある日に振り返ったときに、「私はいつでも損ばかりしている」と思うのか、
「飛び込んだことが次に繋がった」と思うのかで、状況が違うような気がする。
そんな気持ちももちろん大事だとは思うけれど、あまり気に悩みすぎても仕方がない。
私とはそういうものだ、と受け入れて進んでいくしかない。
受け止める力は、ここでは力強い行動になる。
自分の現状を認めて受け止めるのには、エネルギーがいるけれど、認めた先は明るい。
明るいのを、完全に晴れた快晴!と希望するのは、贅沢というものですぞ、と小言が多くなった。


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